生年月日 | 1984年(昭和59年)2月27日 |
最終学歴 | 十文字学園女子短期大学部卒 |
政治歴 | 参議院議員秘書 川越市議会議員(1期・4年) 埼玉県議会議員(2期・8年目) |
家族 | 母、兄、長女(19歳)、次女(高2)、愛犬1匹、愛猫2匹 亡き父の「世のため人のための政治」を継承しています |
嗜好 | 読書(癖のある歴史もの等)、ドラマ・アニメの一気見 |
訓練中 | ゴルフ、ロードバイク、筋トレ、ソフトバレー |
好物 | 肉、塩おにぎり |
特徴 | 身長170cm(県議になってから2cm伸びました)、血液型B型 |
- 川越荒川橋梁の耐震化について、耐震化の実現
- LGBTQ条例制定について実現
- 川越市大東BMX・スケートボードエリアの設置を実現
- 川越水上公園老朽化について、トイレの洋式化を実現
- ウッドショックを契機とした木材加工施設への支援について、製材施設や乾燥施設などの設備費の一部を支援することを実現
- 困難を抱える妊産婦支援について、「にんしんSOS埼玉」の開設を実現
- JR川越線荒川橋りょうの複線化仕様での架換えに関する協議会の設置を実現
私は、20歳で母となり、現在シングルマザーとして、ふたりの娘を育てています。今年は、娘が二人とも受験生。親としてやるべきことと、してあげたいこと、仕事との両立に葛藤しながら、今も、昼も夜も忙しい毎日を過ごしています。
当時は父が参議院議員をしていたこともあり、ママ友達から市政に関する相談を受けることがありました。私は、忙しい父に代わり、川越市の子育て支援の状況を自分で調査し、相談者に回答しました。次第に、「若者やママたちにとって気軽に相談できる窓口が必要ではないか、みんなの声を市政に届けたい」と思うようになりました。
そして私は、27歳で市政改革を決意し、川越市議会議員に初当選を果たしました。市議会議員時代には、聴覚障がい者をはじめ、手話を当たり前の言語とする社会の実現を訴え、「手話言語条例」の制定を提案し、後に同条例が施行されました。
「いじめ問題」についても議会で取り上げ、ネットパトロールやアンケート調査の改善などを実現することができました。また、体育館のエアコン設置など、任期後に現在の市政運営に繋がった提案もあり、やりがいを感じた1期4年間でした。
県議会議員への転身を決めたのは、県議会議であまりにも女性の声が届いていないと感じていたからです。
当時は93名の県議会議員のうち女性議員はたったの5名でした。
女性の声が届きにくい埼玉県の未来に寂しさと危機を感じました。「女性の視点、母の立場、若者の声」を届けねばならないとの使命感から県政に挑戦し、当時は埼玉県議会議員として最年少で当選をさせていただきました。
県政での私の提案は、これまで県議会の場に上がってこなかったマイノリティに関する課題を数多く取り上げてきました。誰にも言えずに抱え込んできた女性特有の心身に関わる問題、性的マイノリティに関する問題などに徹底的に寄り添って取組んできました。
幼い子、就学児、受験生、少子化問題などを本気で考え、これら全ての過程における子育て支援の必要性を訴えてきました。未来を生きていく私たちに希望や夢のある社会、将来が楽しみになる街づくりの提案も積極的に訴えてきました。
持病がある方、子育てにいっぱいいっぱいな方、仕事で失敗をしてしまった方、今日と同じ明日がくるのかと日々の介護に励む方、経済的に困窮を感じている方など、課題はそれぞれ様々で、一人ひとり日々の生活に色んな苦しみやストレスがあろうかと思います。
その一つひとつを少しでも改善して、日々の暮らしが変わっていく、毎日にほんの少しでも幸せを感じられる瞬間がある、そんな社会にしたいです。そして、これからも、一人ひとりの声が多くの県民生活と社会を変えていくのだという信念のもと、地道に全身全霊で取り組んでいきたいと考えています。
私の父は、市議会議員、県議会議員、参議院議員、そして外務副大臣を歴任し、私はこれまで父の背中を追って政治活動をしてきましたが、その父が、昨年12月10日に息を引き取りました。市議1期4年、県議2期8年を父と二人三脚で歩み、いつも私を勇気づけてくれました。父は良き先輩であり、上司であり、時には熱く政治を語り合う親友・戦友として、私を力強く導いてくれました。
父は昨年秋頃から、介護が必要な状態になり、時を同じくして母も倒れました。仕事と介護が両立できる時代になったと思い、あらゆる行政サービスを駆使して「絶対に両親のサポートをやり遂げる」と自分なりに頑張ってきたつもりでしたが、介護の現実は私の想像をはるかに上回り、連日連夜大変な日でした。
働いている時や生活している時など、日々の暮らしの中では様々な出来事が起こります。子育て期の保育園探し、子どもの病気、地域の役員、子供の思春期、離婚、死別、パートナーの病や転勤、親の介護、単身で病にかかった時。もっともっとあるでしょう。
でもどんな家庭環境の変化があっても、「安定した雇用と環境」と「充実した福祉」があれば、毎日ちょっとした幸せを感じられるような社会になるのではないかと思っています。
私、山根ふみ子は、
雇用と福祉の充実が毎日の暮らしの幸せにつながると信じて、
その実現に向けて、
本気で「ふみこむ勇気」のその先に挑み、
皆様のお役に立てるよう精進してまいります。